「くまのの旅」くまっぷ 作成

熊野市では、熊野市文化財専門員 花尻薫氏と三石学氏の監修の下、熊野市の豊富な観光資源をテーマに分けて、
7コースを作成しました。世界遺産、日本の百選、文化財、なども詰め込み、また、ちょっと通な名所も入れて、
熊野市を再発見できる観光コースガイドマップを作成しました。
素敵な旅のお手伝いができるよう皆様のお越しをお待ちしております。
★くまの七旅
◇熊野 ご利益 七めぐり   ご利益 クリック
◇熊野「世界遺産の絶景&撮影スポット」めぐり   絶景&撮影 クリック
◇熊野「日本の百選」めぐり 日本の百選 クリック
◇熊野「藤堂高虎の戦国城跡と江戸時代」めぐり  藤堂高虎の戦国城跡 クリック
◇熊野「近代化遺産」めぐり  近代化遺産 クリック
◇熊野「古代信仰と大自然」めぐり~巨木・巨岩・大滝~  古代信仰 クリックF
◇熊野「世界遺産・熊野古道と街並み散歩」めぐり  街並み散歩 クリック
◇総集編  総集編 クリック (さらに…)

花の窟神社《世界遺産》

■パワースポットで有名な日本最古の神社■

世界遺産「花の窟」は、720年(奈良時代)に記された『日本書記』の神代第一で「国うみの舞台」として登場する日本最古の神社です。祭神は、「イザナミノミコト」「カグツチノミコト」です。他の神社と異なり社殿がなく、ご神体が高さ45mの岩(窟)で、熊野三山や伊勢神宮成立前の太古の自然崇拝の遺風を漂わせています。花の窟の名は、季節の花々で神をお祀りしたことに由来するといわれており、古くから花祭りという珍しい祭礼を行っていたことがうかがえます。日本書紀に記されている事柄そのままに、今も2月2日と10月2日には、例大祭が行われ、多くの方が参拝に訪れます。

■熊野市有馬町130 駐車場:35台 バス2台 無料 トイレあり      JR熊野市駅から車5分

■お綱掛け神事

P1140784■花の窟春季大祭

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獅子岩《世界遺産》

■熊野灘に向かって吠える獅子の岩■

世界遺産、そして天然記念物及び名勝「獅子岩」は、地盤の隆起と海蝕現象によってうまれた高さ約25m、周囲約210mの奇岩です。昔から南側に位置する神仙洞の吽(うん)の岩(雌岩)に対して阿(あ)の岩(雄岩)と呼ばれ、井戸川上流に位置する大馬神社の狛犬として敬愛されていました。このため、大馬神社には今も狛犬が設置されていません。毎年8月17日に開催される「熊野大花火大会」では、多くのカメラマンが集まる絶好の撮影スポットとなります。

■熊野市井戸町 駐車場なし トイレなし  JR熊野市駅から車4分

 

産田神社

P1140889産田神社は弥生時代からの古い神社で、伊弉冉尊(イザナミノミコト)とその子の軻遇突智神(カグツチノミコト)を祀っている。
『花の窟』が伊弉冉尊の御陵に対して、産田神社は火神の軻遇突智神を生んだがために亡くなった場所として一対的な意味合いがあり、
神々が生活した古郷ともいえる.
古代の神社は建物がなく、ここでは『神籬(ひもろぎ)』(神の宿るところ)と呼ばれる石で囲んだ太古の祭祀台(祀り場)へしめ縄を張り神を招きました。左右の2カ所残っており、古さをものがったています。
毎年1月10日の大祭の『奉飯の儀』では子供が丈夫に成長することを願って、汁かけ飯、骨付きさんま寿司、赤和え、御酒の膳いただきます。
産田神社はさんま寿司発祥の地とされています。

熊野市有馬町1814 駐車場10台 無料 トイレ有 熊野市駅より車10分

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鬼ケ城《世界遺産》

■熊野灘の荒波と鬼伝説がつくりあげた天下の名勝■

世界遺産、そして国の天然記念物及び名勝「鬼ケ城」は、数度にわたる急激な地盤の隆起と風・海蝕によって造り出された他に類をみない奇岩地帯です。1.2キロにわたり大小無数の洞窟があり、「日本百選」や「新日本旅行地百選」にも選定されています。平安時代初期に征夷大将軍・坂上田村麻呂が鬼ケ城を根城にして鬼と恐れられた海賊「多蛾丸」を征討したという鬼退治伝説が残っています。もともとは「鬼の岩屋」と呼ばれていましたが、室町時代に有馬忠親が山頂に隠居城として山城を築いて「鬼ケ城」と称してから、現在の名称で親しまれています。

平成25年8月複合観光施設として鬼ケ城センターがオープンしました。
1階は熊野の特産品を販売する売店、座席20席のカフェ、新姫ソフトクリームなどのテイクアウトコーナー。2階は座席28席、デッキ9席のレストラン、3階は最大240名収容の団体用レストランがあります。鬼ケ城の一番の景勝地千畳敷まで徒歩5分です。

■熊野市木本町 駐車場 35台 バス10台 無料 トイレあり       JR熊野市駅から車5分
image鬼ヶ城センター

七里御浜《世界遺産》

■太陽と熊野灘の輝き、巡礼者の思い・・・すべてを受け止めて■

熊野市から紀宝町に至る約22km続く日本で一番長い砂礫海岸「七里御浜」は、「世界遺産(浜街道)」「日本の渚百選」に選ばれた美しい海岸地域です。その昔、熊野詣でをする人々にとっては「浜街道」として、西国三十三所を目指す巡礼者が多く歩いたことから「巡礼道」とも呼ばれ、信仰の道としての役割を果たしていました。海岸には、熊野川を経てたどり着いた様々な種類の石を見ることができます。また、春から夏にかけてアカウミガメが上陸する地として知られています。

 

楯ケ崎

■天高くそびえる柱、楯ケ崎■

楯ケ崎は、高さ70m・周囲600mの大岸壁で、まっすぐな無数の柱が連なったように見える「柱状節理」と呼ばれる地形が特徴です。周辺には奇岩・巨石や貴重な植物体系が多くみられることから、吉野熊野国立公園・特別保護地区に指定されています。日本書紀などに記された神武天皇東征の際には、この付近に上陸したと考えられており、千畳敷には記念碑が建てられています。(但し、伊勢湾台風で流失)楯ケ崎の裏手には高さ170mを誇る「海金剛」があり、ここは海上遊覧船からしか見ることができない大迫力の見事な絶壁です。

■熊野市甫母町 駐車場12台 無料 トイレあり  JR熊野市駅から車約40分
駐車場から楯ケ崎までは徒歩片道30分(海金剛、青の洞窟は海上遊覧船でしかご覧できません)
■楯ケ崎遊覧船 熊野市大泊松崎港発 10:00 14:00 要予約 熊野市観光公社にて予約

丸山千枚田

■日本最大級の棚田■

日本の棚田百選に選ばれた「丸山千枚田」は、1340枚の規模を誇る日本最大級の棚田であり、その景観は日本一と称されています。約400年前には2240枚の田畑があったいう記録が残されていますが、平成初期には後継者不足等により530枚まで減少していました。平成6年に「丸山千枚田条例」の制定、そして地元住民らの協力により復田作業が行われ、現在は1340枚の規模が維持保存されています。復田された田を利用して、丸山千枚田オーナー制度が実施されており、毎年100組を超えるオーナーが登録しています。年間を通して稲作体験が行われ、都市住民との交流と棚田保全活動が行われています。
毎年6~7月に虫送り行事が行われ、棚田に1300本余りの火がともされ日が沈むとともに幻想的な風景が味わえます。虫送り見学ツアーを毎年実施しており、会場まで直接入ることができ好評です。発売はこのホームページにて発表いたします。

■熊野市紀和町丸山 駐車場15台 無料 トイレあり   JR熊野市駅から車約30分

■丸山千枚田へは1泊2日の着地ツアー『丸山千枚田と赤木城コース』にご参加が便利で説明の案内が付きます。
詳しくは、本ホームページの『熊野感動紀行』をご覧ください.


徐福の里波田須

■徐福上陸の地■

秦の始皇帝の命を受け不老不死の秘薬を求め船出した徐福が漂着した所で中国文化をひろめたといわれる伝説の地です。帰国を断念した徐福は永住を決意し、やがて窯を設け、焼物を教えたと言われています。今も残る窯所、窯屋敷という地名はこのことを伝えています。この他、土木・農耕・捕鯨・医薬などの中国文明を広めたことから、当地では神として崇め手厚く祀ってきました。波田須の地名は古く「秦住(はたす)」と記され、徐福の足跡や品が数々残っていることなどから、徐福の渡来伝承の残る全国20か所以上の中でも有力とされています。またこの地域には徐福が探し求めていた不老不死の仙薬とされるアシタバや天台鳥薬の木が茂っています。徐福の宮の参道修復中に数枚の古銭が発掘され、2002年に中国の学者が鑑定したところ、中国秦の時代の古貨幣「半両銭」と判りました。「半両銭」の出土は国内でも大変珍しく貴重なものです。

■熊野市波田須町 駐車場3台 無料 トイレなし  JR熊野市駅から車約20分

 

大丹倉

■天空のパワースポット・秘境■

高さ200m幅500mに及ぶ大絶壁で昔から修験者たちの聖地だったところです。岩肌が赤く見え「丹」という字は「赤い色」という意味があり「倉」という字は断崖絶壁を表し、ここから大丹倉と名前が付けられました。下から見上げてそのスケールを体感することができますが、頂上へも林道が通じていることから比較的簡単に上ることができます。頂上から下を覗き込むとその高さに思わず身を引いてしまいます。
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『天空の亀』です。
(頂上は安全防止の柵がないので、危険です)

■熊野市育生町赤倉 駐車場10台 無料 トイレなしJR熊野市駅から車約50分

瀞峡

■紀伊半島随一の渓谷美■

国の特別名勝及び天然記念物「瀞峡」は、和歌山、奈良、三重の3県が接する県境にあり、断崖絶壁の奇岩や滝など紀伊半島随一の渓谷美をウォータージェット船から楽しめます。熊野市の小川口(入鹿温泉)から乗船でき短時間で往復できます。下流から「下瀞」「上瀞」「奥瀞」に分かれ、特に下瀞は「瀞八丁」と呼ばれています。5月にはサツキが咲き乱れ、秋には紅葉が楽しめるなど、四季折々の豊かな景観を楽しむことができます。

■熊野市紀和町小川口 駐車場あり トイレなし 小川口乗船場までJR熊野市駅から車約30分

■瀞峡観光ウォータージェット船:小川口乗り場から往復2260円      (小人半額)、所要時間1時間

■お問合せ先:熊野市観光公社0597-89-2229 瀞流荘0597-97-1180

湯ノ口温泉

11136671_442725252563669_7622574695443256736_n■湯量豊富な源泉かけ流しの秘湯■

完全源泉かけ流し、加水も加温一切ない良好な泉質で豊富な湯量を誇る秘湯です。入鹿温泉瀞流荘とは廃坑になった銅山の坑道を走る10分間のトロッコ列車で結ばれています。
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平成27年3月26日リニューアルオープンしました。
入浴料金:大人540円 小人(3~12歳)270円
施設:内湯、露天風呂(立ち湯、半身浴、寝湯)、休憩ラウンジ、売店、自動販売機、貸切風呂(1080円60分利用)

 瀞流荘と湯ノ口の間を結ぶ、昔鉱山の坑道で使われたトロッコ列車がそのまま運行されています。入鹿温泉瀞流荘からトロッコ往復乗車券と湯ノ口温泉入浴料を含め大人860円小人430円で販売しております。
■熊野市紀和町湯ノ口 駐車場30台 無料 JR熊野市駅から車40分

赤木城跡

赤木城は1588年~頃に付近の北山一揆を取締るために、豊臣秀長の家臣であった藤堂高虎が築城したものです。城跡は天正期の遺構をきわめて良好な姿で残しており、近代城郭を原型を示しています。藤堂高虎は築城の名手とうたわれおり、築城当時の原形を残した城跡は全国でもまれで、大変貴重とされています。赤木城跡の主郭には桜があり、花見の名所として知られ、また、朝もやに浮かぶ城壁は天空の城と呼ばれています。

■住所 熊野市紀和町赤木  駐車場30台 無料 トイレ有

■アクセス 国道311号線紀和町方面へ風伝トンネル抜け右折れ県道40号 JR熊野市駅から約40分

■赤木城へは1泊2日の着地ツアー『丸山千枚田と赤木城コース』にご参加が便利で説明の案内が付きます。
詳しくは、本ホームページの『熊野感動紀行』をご覧ください。

布引の滝

▶きらずの森に恵み滴る名瀑◀

日本の滝百選「布引の滝」は、長い年月をかけて熊野花崗岩の岩盤を削り取ってできたもので、滝は4段からなり、1段目は12m、2段目は3.5m、
3段目は7.7m、そして4段目は29.1mの落差をもって滝つぼにその流れを落としています。
名称の由来は、その名が示すとおり水の流れが大巾の布地を垂らしたように音もなく、飛沫も立てずに流れ落ちるさまからついたものです。熊野市の条例で布引の滝付近一帯の森が「切らずの森」に指定され、豊かな自然そのまま守り続けられています。
付近には「八丁大滝」「松山滝」「荒滝」など滝めぐりが楽しめます。

■住所 熊野市紀和町小栗須 駐車場なし トイレ有 JR熊野市駅から車で1時間

丹倉(あかくら)神社

赤倉集落からさらに山深い奥にある古い神社で、熊野三山に参拝者が訪れる以前からこの地で根付いていた「磐座信仰」を示す巨岩をご神体としています。巨岩に神を感じる自然崇拝の名残が感じられます。ご神体の岩の上から樹木がそだち、神秘の生命力を感じざる得ないです。
近くには修験者の聖地「大丹倉」があり、この丹倉神社も原始の山岳信仰を受け継ぐ修験道の行者たちが外界を離れ自ら鍛えた修業の場と言われています。熊野市には磐座信仰を示すものとして世界遺産花の窟があります。

■住所 熊野市育生町赤倉 駐車場なし トイレなし JR熊野市駅から車で30分

まないたさま

「天の真名井戸」マナイタサマとよばれ婦人病に霊験ありとされています。古くここに水神が祭られていた為にこの信仰が生まれたといわれています。産田川の支流にたたずむ磐座がご神体です。太古の祭祀の場としての雰囲気を漂わせています。
水神は五穀豊穣をもたらす神で、また多産を約束する神でもあります。
花の窟、産田神社とほぼ直線状の等距離に位置し、ともに強烈なパワースポットとして太古の人から崇められたのでしょう
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■熊野市有馬町池川 林道から徒歩6~7分 熊野市駅から車で約15分

木本 文字岩

 

P1100978熊野市華城山のふもと通称「畳堂」と呼ばれる大きな岩盤に、縦2.7m幅2mほどの範囲で、秦の徐福を偲んだ五言絶句の詩が約30cm四方の文字で、「驚去徐仙子 深入前秦雲 借問超逸趣 千古誰似君 梅花仙史題」と彫られています。

『東遊記』『西遊記』で知られる、江戸時代のベストセラー紀行作家であり医者でもある橘南谿(1753~1805)が、1795年に南紀州に医学修行で訪れた際、医師で友人の宮崎見璞宅に止宿したおりに、熊野市波田須の徐福の宮を訪ねて感動し、徐福や秦の始皇帝を偲んだ詩を詠み石面に大書したといわれる。

P1100963これを木本の医師であり書家である、喜田玄卓が、新鹿の石工・大矢善助と木本の石工・樫野玉助に命じて彫りつけたといわれている。

五言絶句の詩の意は「徐福の物語を聞いて私は大きな感動と驚きの思いでこの地を去ろうとしています。空にかかる雲は遠く昔の秦の国へつながっているように見える。もし、徐福に問えるならば彼の冒険話を聞いてみたいものだ。遠い昔から徐福のようにロマンにとんだ人生を送った人が他にいるだろうか?」と解釈されます。

 

熊野市木本町切立  JR熊野市駅から徒歩約7~8分 駐車場なし