毎年5月4日(雨天決行)- あら!さかな熊野灘ほうばい祭り

時 間:
9:30~ オープニング(鮮魚のせり、ボートレース、海上綱渡り大会など各種催し物)
15:30頃 閉会

場 所:
二木島漁港周辺(二木島)

内 容:
青少年の健全育成と地域の活性化、地域文化の保存を目的として平成14年から開催されています。この地域は古くは”荒坂津”と呼ばれ、日本書紀来の神武天皇紀にも記された 由緒ある土地です。”ほうばい”とはこの地域の言葉で”仲の良い友達”という意味です。
町全体でも楽しんでもらい、町外の各地域との交流を深めて融和・団結を図るために、地元特産品の販売や各地区によるフリーマーケット、鮮魚釣り堀、海上綱渡り大会など、漁村ならではの催し物が行われます。

☆日本書紀に記された村・荒坂津
日本書紀の中の神武天皇紀によれば、神武天皇は東征の折、熊野灘で暴風雨に遭って二人の皇兄を失った後、熊野の『荒坂津』へ上陸し、辺りを支配していた丹敷戸畔(にしきのとべ)という者を討伐して大和を目指したとの記述があります。支配者の丹敷戸畔(にしきのとべ)という名前が二木島に似ており、二木島の昔の村名が荒坂であったことから、東征軍は近くの『楯ヶ崎』付近に上陸したのではないかと言われています。

☆風待港
その昔、帆船は風頼みであり、風のない日は良港に停泊して風を待つのが通例でし た。この地方では、水深が深くて飲み水も豊かな二木島が唯一の風待港であったため、風のないときには多くの停泊船で賑わいました。熊野灘沿岸の中でも漁港 商港として特に栄えた港であり、廻船の入港によって物資の交流が行われ、周辺とは異なった文化を育んでいたと言われています。江戸時代に廻船の船乗りたち の評判をもとに作られた「全国湊くらべ」の番付にも二木島の名前が記されており、全国でも有名な良港として知られていました。