熊野市華城山のふもと通称「畳堂」と呼ばれる大きな岩盤に、縦2.7m幅2mほどの範囲で、秦の徐福を偲んだ五言絶句の詩が約30cm四方の文字で、「驚去徐仙子 深入前秦雲 借問超逸趣 千古誰似君 梅花仙史題」と彫られています。
『東遊記』『西遊記』で知られる、江戸時代のベストセラー紀行作家であり医者でもある橘南谿(1753~1805)が、1795年に南紀州に医学修行で訪れた際、医師で友人の宮崎見璞宅に止宿したおりに、熊野市波田須の徐福の宮を訪ねて感動し、徐福や秦の始皇帝を偲んだ詩を詠み石面に大書したといわれる。
これを木本の医師であり書家である、喜田玄卓が、新鹿の石工・大矢善助と木本の石工・樫野玉助に命じて彫りつけたといわれている。
五言絶句の詩の意は「徐福の物語を聞いて私は大きな感動と驚きの思いでこの地を去ろうとしています。空にかかる雲は遠く昔の秦の国へつながっているように見える。もし、徐福に問えるならば彼の冒険話を聞いてみたいものだ。遠い昔から徐福のようにロマンにとんだ人生を送った人が他にいるだろうか?」と解釈されます。
熊野市木本町切立 JR熊野市駅から徒歩約7~8分 駐車場なし