10月第2日曜日(予定) – 木本神社例大祭

令和2年度は中止です。

時 間:
宵宮祭(例大祭前日)
18:30 「稲荷山車(ダンジリ)出発
19:00 「よいや」、稲荷山車に合流して木本神社へ
19:15 「子どもみこし」、稲荷山車に合流して木本神社へ
19:30 「六法(方)行列」、稲荷山車に合流して木本神社へ
19:40 「元宮太鼓」、稲荷神社に合流して木本神社へ

例大祭
8:00 「稲荷山車」が御神輿を迎えに木本神社へ出発
各地区の山車が随時木本神社に集合
10:00 神事(祝詞奏上、浦安の舞、玉串奉典、御神輿への神移し)
11:45 「稲荷山車」が“御旅所(稲荷神社)”へ出発
12:00 「御神輿」出発
12:15 「六法(方)行列」出発
12:30 「よいや」出発
12:45 「子どもみこし」出発
13:00 「元宮太鼓」出発
16:45頃「御神輿」が“御旅所”から出発“浜担ぎ”
24:00頃「御神輿」が木本神社に到着

場 所:
木本町各地内

内 容:
木本町は、江戸時代に紀州徳川家の本藩公領地として『奥熊野代官所』が置かれ、熊野地方(熊野川以東から三重県北牟婁郡紀北町)の中心地として栄えた町です。木本神社は、もともと「若一王子権現」(“若一王子”は天照大神を意味します)といい、新田地区にあったものを現在地に遷座したと言われています。
慶長13年(1608年)の遷宮棟札が現存しており、その頃から祭礼が行われています。例大祭では、木本町の各地区から様々な山車が出されて“暴れ神輿”の異名をもつ御神体が鎮座する神輿のお供をしながら町内を練り歩きます。

☆暴れ神輿
御神体を移した神輿は約1トンもの総重量があります。基本的には台車に載せられて町内を練り歩きます が、「浜担ぎ」や町内に設けられた各”宿所”では百数十人もの奉仕委員によって直接担がれます。「浜担ぎ」とは、神輿が御旅所(おたびしょ)《稲荷神社》 の到着した後、台車から外されて百数十人もの奉仕委員に担がれ、七里御浜で 熊野灘の荒波に神輿を浸け、浜に落として清めを行うものです。神輿渡御(みこしとぎょ)の道中、町内に設けられた各”宿所”で供え物として住民から振舞わ れる酒が、次々と神輿に振り掛けられ、伊勢音頭が高らかに歌われる中で勇壮に担がれる様子から”暴れ神輿”の異名があります。神輿を担ぐ時の”チョーサ ヤ、チョーチョ”という掛け声は、中国語の”招財”を起源とする”ワッショイ”の古い形の言葉といわれているものです。

☆六法(方)行列
元和5年(1619年)に徳川家康の第10子・頼宣が御三家の一つとして55万5千石を領して紀州に入 国しました。六法(方)行列は、紀州藩の本藩直轄地となった木本の住人がその喜びの心を表したもので、参勤交代・大名行列を模倣したものと言われていま す。”六法(方)”の名前は、天地東西南北の6方向に大きく手を振って足を強く踏みしめるような所作から、歌舞伎の六法(方)に由来していると言われてい ます。笛吹き・歌い手数名に次いで、”挟み箱”・”熊毛”・”鳥毛”・”手槍”・”立ち台”・”弓”・”鉄砲”・”など、総勢30名程度の若い衆が行列を 進んでいきます。若い衆たちは顔に白・赤・青の化粧をして、歌い手に合いの手の掛け声を入れて華やかに”六法を振る”姿は例大祭の花形です。市の無形民俗 文化財に指定されています。

掛け声:
フリコーメソー ヨーイヨイ ソーレ ソーレ
ヨイヨイ セッ ヨイヤハッ ヨイヤハッ ヨイヤハッ

☆各地区の山車等
「御神輿」…”暴れ神輿”の異名があり、この神輿が百数十人の奉仕委員によって町内を廻る”神輿渡御(みこしとぎょ)”が例大祭の中心です。
「稲荷山車」(新出町)…子どもが引ける程の比較的小型の山車で、”ダンジリ”と呼ばれます。例大祭当日には御神輿を迎えに行った後、御神輿や各町の山車が渡御(とぎょ)する前に神社で獅子舞を行います。
「よいや」(栄町)…黒・白・赤の3枚重ねの布団を屋根に積む太鼓です。”よいや”の名前は山車を高々と担ぐ時に発する掛け声に由来するものと言われています。
「子どもみこし」(井筒町)……子どもが担ぐ神輿です。
「六法(方)行列」(親地町)…隈取りをした子どもたちが手槍や道具箱を手にして掛け声勇ましく行進する奴(やっこ)振りです。
「元宮太鼓」(新田地区)……太鼓を載せた山車で、多くの子どもたちを乗せて進んでいきます。